やたろう文商会

山形住みます作家・やたろうの公式(?)ブログです。

春秋の牡丹3

古代中国小説、第3章です。

 

 

三章 鄭への道

 

   1

 

 孟談が新しく赴任した邯鄲城には、急ごしらえの小さな薬草園が完成していた。

医療行為が祈祷と薬草が中心であった古代社会では、薬草園は医薬品工場のようなものであった。その薬草園は果樹園も兼ねており、初秋の事とて梨の実が色づいている。その樹上には、小さな人影が動いていた。

「うめえ。北の国ってえのは、梨の美味い所だなあ」

 木の上にいたのは天狙だった。彼女は“狙(さる)”の名前が示すように山猿のような身のこなしが身上である。その素早さで山野を駆け巡り、様々な薬草や果実に詳しかったので、この薬草園をあてがわれ、平時は園の管理人が仕事であった。 薬草園に植えられた梨や杏(あんず)、李(すもも)などの果物は、その花や種などが医薬品として使われていた。

また、献上に用いられる極上品以外の果実は天狙の役得、即ち好きに食べても良いものだったので、彼女は偵察の軍務から解放されると、果樹に登って食事をするのであった。

 今日も天狙が梨を頬張っていると、樹下から自分を見ている老人を見つけた。老人は陽気なる好々爺然としていたが、鋭い目つきと、杖を握る骨太な五指は武将だった人の持つものである。

 

 そして錦の衣や玉石の装飾品を、厭味(いやみ)さの片鱗(へんりん)すら感じさせずに着こなす、優雅な威厳は貴人の風格があった。

「おや……おじいさん、どっから来ただ?」

 天狙の問いかけにその老人は笑い、

「城下町から来たのじゃよ……ほほう。それにしても美味そうな果物じゃな。梨かね?」

「うん。喰いてえならもいでやっぞ。そら!」

 天狙が樹上から手を伸ばして手渡した梨の実を、老人は庭の亭に腰かけると、溢れる果汁をいとおしむようにゆっくりと味わい、

「坊や、ありがとうよ。馳走になったな」

 老人に天狙は言い返す。

「おらはこれで女だぞ。それと、名前は天狙だ」

「おう、これはしたり。天狙は元気だのう。然らば、御免」

 その高貴な老人は天狙に一礼すると、微笑を浮かべて帰宅したのであった。

 

 翌朝。目を怒らせた高共の声が、宮殿の会議場に響いていた。

「天狙、どこにおるか? 早(はよ)う来ぬか!」

 天狙が会議場に入ると、同じく叱責を頂戴していると思しき新稚狗が足を投げ出して口笛を吹いていた。不機嫌顔の高共の左右には孟談と陽虎、原過、楚隆らが控え、上座には無恤と彼の奥方と思しき貴婦人がいた。

「これ、昨日お主が梨を振る舞(も)うたのはどなたと思う?」

「散歩中のおじいさん。どっかのお偉いさんだろ?」

 さらりと答える彼女の態度に、高共は激怒した。

「おじいさんとは何だ! あの御方は無恤御曹司のお父上たる趙卿閣下、すなわち

この城の大殿様ぞ。御歳を召されておいでなのに生の梨など勧めて、もしもの事が

あらば何とするのか!」

 

先日、天狙が出会ったのは無恤の実父である当主・趙鞅だったのだ。彼は高齢であり、もはや軍務はおろか激務である政治を執行する体力も無かった。故に、後継者の無恤が事実上の君主に近い立場で、彼は隠居の身であった。

 そうした経緯から、新入りの天狙とは初対面であり、彼女からおじいさん呼ばわりされたように、趙鞅もまた天狙を知らなかった。

そのため、趙鞅は彼女を女奴隷ではなく、見ず知らずの少年と勘違いしたのであ

った。身分制度が厳しい華夏では、民はおろか臣下でも階級が低い者は領主の顔を知らない事はままあった。増してや、それが異民族の奴隷であれば尚の事である。

 

 頭を掻いて苦笑する天狙の隣では、新稚狗が高共の御小言を頂戴していた。

「新稚狗よ、そちも何度申せば分かるのだ。若様は御身体が弱くていらっしゃるの

に、馬に乗せるとは言語道断。さあ、御曹司に謝罪せよ!」

 今朝、新稚狗は無恤の息子と二人乗りでの乗馬を楽しんでいたら厩の番人に叱られ、それを殴り飛ばして遠乗りをしたので高共から大目玉を喰らう羽目になったのだ。

 鬚を振るわせて説教する高共だが、当の新稚狗は叱られて黙っているおとなしい男ではない。

「へいへい、お悪うござんしたね。そうですよ、坊ちゃまを馬のケツに乗せて、厩番共をぶん殴っちまった俺が悪いんですよ。ふんっ!」

 彼は数人分の座席を独占して胡坐をかき、そっぽを向きながら嫌そうな顔で頭を下げた。

「まあ、良かろう。高じいよ、二人とも懲りておろう。それに、倅(せがれ)と親爺(おやじ)殿も狭苦しい所に押し込められて退屈しておった故、むしろ礼を言わねばと思うぞ」

 見かねた無恤が間に入る。無論、頑固一徹の高共は黙っていない。

「御曹司!」

「はは、冗談だ。新稚狗に天狙よ、じいの言葉を肝に銘じて反省せよ。良いな」

 無恤が笑い、新稚狗と天狙を訓諭した。流石に堪えたと見えて、両名は恐れ行っ

た様子で退出し、持ち場へ向かった。若殿が荒くれ二人を叱責したのを見た高共は、

少しは機嫌を直したと見え、静かに礼をすると議場を出て政務室へ向かったのだっ

た。

 

   2

 

 高共の後ろ姿を見送った無恤はため息交じりに呟いた。

「全く、じいは心配症だ。狭き部屋に住まう老幼への新稚狗・天狙の心配も分かるわ。なあ、奥や」

 奥と呼ばれた貴婦人が頷いた。彼女の名は空(くう)氏(し)。北方異民族の血を引く豪族・空(くう)同(どう)氏の令嬢である。政略結婚で嫁いでは来たが、夫婦仲は悪くないと評判だ。

「ええ。阿(あ)嘉(か)も最近は逞しゅうなりましたし、新稚狗殿の馬に乗せて頂いて嬉しそうでしたわ。」

 その声を気にするかのように、色白で気の弱そうな痩せ形の少年が、柱の陰から夫妻や臣下らの方を見ていた。

 この少年の名は趙(ちょう)嘉(か)と言い、無恤の長男で趙鞅の孫でもある。乗馬の後らしく、玉のような汗をかいている。趙嘉は小柄な体を屈めると父母の前で礼をした。

「おう、阿嘉や。隊長殿から馬に乗せて貰って良かったな。鍛錬も良いが、兄様と共にお祖父様の下で祭祀や学問も学べよ。良いな」

 

 武勇名高き無恤も、愛息を愛称で呼んで気遣う、常識的な善き父であった。その長男が病弱であればこそ、そうした思いもひとしおである。

「はい、父上。お祖父様の書斎で、周おじ殿と一緒に読書をして来ます」

 そう言うと、そのひ弱な少年・趙嘉は立ち去っていった。

「我が家の長男は病弱揃いじゃな。親爺殿も阿嘉も、そして兄者ものう……」

 駆け去っていく息子の後姿にため息をついて笑う趙無恤の様子を見つめる孟談は、ある噂を思い出していた。

 彼が後継者になるきっかけになった常山での一件後、賢弟に座を譲る事が出来て安心したのか、趙伯魯は夭折してしまった。

 自分を溺愛した兄の死を悼んだ無恤は、彼の子である趙(ちょう)周(しゅう)を邯鄲城に引き取って愛育し、嫡子として扱った。その後で産まれたために、趙嘉は無恤夫妻の長男だが次男の扱いであった。

 なお、趙嘉と趙周は年が離れていたので、従兄弟同士だがおじ殿と言うあだ名で呼ばれている。自分の子を跡取りにしない無恤に趙鞅も空氏も呆れて憤ったが、彼の伯魯に対する思いと、趙嘉が病弱なのを見て黙認するようになったのだ。

 

 妻を相手に嘆息した無恤であったが、孟談や陽虎、原過、楚隆らの姿を見て、

「ははは、恥ずかしい所を見られたな。孟談よ、庶民は皆で家を支えれば良いかも知れぬが、領主や士の身分ともなれば、あのようになる事も覚悟せねばならぬ。主もゆめゆめ、忘れてはならぬぞ」

 無恤の言葉に、孟談は一礼するだけであった。自分も今では士の身分。いつ何時、家督争いをしなくてはならないかと言う恐れと同時に、そうした孤独を抱える無恤を助けて行かねばと言う決意を抱いた。

 その頃、高共は自室に籠っていた。だが、それは自宅ではなく、邯鄲の宮殿内に設えられた自室である。その壁には一人の男性の肖像画が一幅、掛けられていた。

「戦が激化してきておる……内政、外交との調整をしながら戦っていかなくては。安于殿、趙を守る力を、拙者に御加護をお与えあれ!」

 高共の脳裏に浮かんだのは、先代家宰・董安于の事である。この安于と、当時は

出納を司る若手文官だった高共は上官と部下であったが、同時に親友さながらの間

柄でもあった。安于が高共と共に晋陽城の改築に乗り出し、特に城塞を見事なもの

にしたのは先述したが、彼の才覚はそれに留まらなかった。

 中行寅・范吉射が謀反した時、わざと報告せずに彼らの反乱を増長させた上で他の群雄も引きずり出し、その隙を突いて趙軍を有利に導くなど、裏で暗躍する闇の謀臣でもあった。

 

 しかし、智氏の総帥であった智躒(ちれき)がその小細工を見破った。読んで字の如く智慧に秀でていたこの一門は、何度となく趙家とぶつかり合う事もあり、中行・范両氏を討伐して追い出したのに、その原因が罰せられないのはおかしいと声を大にして訴えたのだ。

 明らかに趙の力を削ぐ陰謀としか言いようがなかったので趙鞅は抵抗したが、董安于はまだ成長期にあった主家を守るためには我が身を捨てる事を、決して惜しまなかった。

「私めの死で全てが丸く収まるならば、誠に結構でございます。高共君を重く用いて下さいませ」

 重々しく上奏する董安于の顔を見るに忍びず、頭を垂れて黙り切る趙鞅の隣から、

高共が飛び出した。

「董家宰、どうして死に急ぐのでございますか。貴方の采配なら、絶対に趙一門が勝ちます。何卒、死ぬのだけはおやめ下されませ!」

 泣いて止める親友にして部下、そして同志たる高共に安于は諭した。

「出納係の君が、大殿様に無理を言ってくれたおかげで茨の垣根と銅柱を有する、立派な晋陽城が出来た。それを君は、趙を守護する切り札として使いたまえ」

 董安于は、慰めるように晋陽の構造が書かれた設計図を高共への形見に残し、自決した。だが、趙鞅を懲らしめ足りない智礫は謝罪として董安于の亡骸を晒させたので、彼は死してもなお辱められたのであった。

 市場の中央に晒され、逆さ吊りにされた安于の亡骸を見せつけられた高共は泣い

た。泣けども悲しみは尽きなかった。その悲しみは君臣一同も同じであり、趙鞅は

こっそりと趙一門代々の御魂を祀る霊廟に安于を祀ってその志に報いた。

 他でもない、高共の部屋に掛けられた一幅の肖像画こそが董安于の姿を模した物だ。高共は朝夕に安于の肖像画を拝する事で、仇討ちの気持ちを燃やしていたのだった。

 

   3

  

「必ずや中行と范、何よりも智一門を討ち果たし、趙氏隆盛の夢を叶えましょう。

見ていて下され」

 高共は暗くなっていく部屋の中、静かに呟いた。董安于の死を招いた謀反を起こ

した中行寅と范吉射、そして安于を死んでも辱めた智氏は高共、否趙氏にとっては、

不倶戴天の宿敵であった。

 だからこそ、士の出自である原過や楚隆だけでなく、庶民の孟談や亡命者陽虎、

蛮族の天狙と新稚狗など曲者揃いの面々を集め、趙が日の目を見られるよう、支度

をしていたのであった。

 黄昏の中、高共が照明に火を灯す。すると、後ろから気配がした。

「お、いたずら者め。この様子では何ぞ変わった事があったようじゃな」

 振り向いた高共の視線が見つめる先には、天狙がいた。彼女は叱られた後にいな

くなったが、間諜としての偵察活動をしていたのだ。

「智家の殿さんが死んじまっただ。後を継いだのは厭味ったらしい“あんちゃん”だよ」

「智(ち)甲(こう)殿がか? 厭味と言えば……まさか、智瑶殿が就任したのかっ!」

因縁の敵である智躒は、董安于の一件から数年後に死去し、その息子智甲が後継

となっていた。

智甲の嫡子である智瑶は、豫譲ら有能な青年を配下にした中行寅・范吉射が率い

る斉国が攻めてきた時に撃退するなど、智氏は優秀な人物揃いの一門であった。

 

 そこに、新稚狗と張孟談も慌ただしく駆け込んできた。

「へへ、先を越されちまったなあ。俺様の仲間も、良い情報を持って来たんですぜ。鄭攻めは来年の春、暖かくなりかけた頃だそうですぜ。張旦那も良い知らせを掴んでまさあ」

「私の居酒屋に来た馬商人が、智氏から代国産の軍馬を注文されたと、世間話をしていきました。そこでお二人に調べて貰ったところ、鄭を狙うための戦に用いるとの由です」

 新稚狗・孟談両名が言う鄭は、晋の南方に位置する小国だが、中原の中でも相当

に豊かな穀倉地帯である。智氏が鄭を狙うのも、その卓越した政治力が原因であっ

た。優秀な行政官である彼らが統治していた地域は、晋の中でも人口が増えていた

のだ。

そうした人口増加によって為政者が抱えるのが居住区と食糧増産の問題だ。

そこで智氏が目を付けたのが、首都の洛陽ばかりか、商の旧都で今もなお大都市である朝歌にも近く、産業・交易の中心地にも成り得る鄭の領地だった。

すなわち鄭攻略による南下政策は智氏の生命線で、それを狙うのが若き当主・智瑶である。

「あの智瑶殿がのう。せめて智過(ちか)殿であれば話し合いの余地はあったのだが……それ相応の覚悟をせねばな」

 

高共の口から出た智過と言うのは、智躒・智甲の同族で、彼ら二代に仕えた知恵者である。智氏の後継者を決める際に、誰にするか迷っている智甲に、軍師である彼が進言した。

「瑶殿は容姿端麗、文武両道の人傑ですが強情な気質です。後継には向かぬと存じ上げます」

だが、智甲も智躒もそれを気に留めなかった。智過も幼い頃から聡明だったので後継者にと望まれたのだが、分家の出だったのと、本家に待望の男子だった智瑶が産まれた事から外され、二番手に甘んじていたのだった。

この事件で、智過と智瑤自体は仲の良い兄弟的な関係だったのが、支持者の派閥が出来て問題にもなっていた。

だが、智瑶自身は配下の支持ではなく、自力で大功を成し遂げる思いの強い少年

であったため、大人達の争いは気にも留めずにいた。中行寅や范吉射の謀反につい

ても、以下のようにさらりと言ってのけるほどだった。

「戦いになってから恐れ慄いて逃げるなど、男ではない。戦ってから降るような弱

者は死ぬべし」

斯様に徹底した覇道思想を掲げ、彼らを同族と見做さずに撃破していく様は智氏

こそ晋の中心、商王朝ゆかりの名門たらしめていると言う気負いそのものだった。

 

「だが、何もせずに手を拱いてはおれぬ。拙者は御曹司と大殿様にこの事を申し上

げ、用意を致そうと思う」

高共の目は、次への布石に燃えていた。明日を担う若者らと共に趙を盛り立てる

ことが、董安于の無念を晴らす唯一の方法と信じている目であった。

翌日、高共は孟談や新稚狗、天狙が仕入れた情報を詳しく吟味した上で上奏文に

まとめ上げ、趙鞅と無恤の御前で言上していた。

「確かに智氏が南下して鄭を併呑すれば、趙は窮地に追い込まれよう。そこでお主

が出した結論が、この上奏なのだな」

 鋭い目つきを向ける無恤に、高共は堂々と頷いた。

「智瑶殿が独力で鄭の領地を奪えば、それは全てかの御仁がお取りになります。で

すが、我らや韓・魏両家が現時点で智氏に協力すれば……」

 今度は趙鞅が笑って、

「さすがの智瑶も、分け前を寄こさざるを得ないのう。その上でうまく立ち回れば、

智の力は削ぎ落せる。なるほどな」

 歴戦の英雄であった趙鞅も、智氏の力が並大抵でない事は熟知していた。彼もま

た、董安于の無念を晴らしたいと願う高共と思いは同じだったのだ。その顔に刻ま

れた皺の深さは、趙氏と智氏との因縁の深さをも物語るものでもあった。

 

   4

 

 高共の言上した作戦は趙一門の強化を考慮し、一先(ひとま)ず共闘する事だった。如何に人傑の智瑶とて、晋国に仕える四卿の一勢力でしかない。そこで趙家が韓魏の二卿に呼び掛け、晋公家の名のもとで鄭侵攻を手助けする。

その見返りに、自分達の分も獲得した領地を割譲させてしまえば、智瑶の暴走を弱体化させる事も可能。高共はそう読んだのだ。

これは、下手をすれば智瑶を勢い付かせる危険性をも孕んだ賭けであった。各地で猛威を振るう智氏のやり方を野放しにしていれば、いずれは趙が喰われる。その危険性は目に見えていた。

だが、一時的にでも智氏と手を組むことで領地や利権を手にすれば、趙氏の力とて増す。幸いにも趙には代国との縁戚関係、魯国に精通した陽虎、蛮族と話し合える新稚狗と、人材には事欠かない。

そして南方の強国・呉の国王である夫差との同盟も、趙氏には十分な武器に出来る。これを活かして戦力を温存すれば、如何に精強な将兵を率いていると言えども、各地への侵略で疲弊している智氏とも互角に戦える。一連の献策は慎重に慎重を重ねた、まさしく高共決死の策であった。

「良かろう。高じい……否、高家宰に命ず。そなたは智瑶殿に使者として赴き、鄭攻めの協力を申し出るのじゃ。韓には楚隆、魏には原過を派遣するが良いぞ!」

 無恤は即決し、淡々と指令を下した。

「親爺殿、私はこれより晋公家に奏上して智氏への援軍許可を頂いて参ります。城をお頼み申しまする」

「倅や、やはり主は、あの時……いや、何でもない。晋公殿下に失礼の無きようにな」

 何かを考えていたのか、趙鞅の顔は一瞬強張ったが、次の瞬間には元の好人物に戻っていた。

 

十数日が過ぎた。

「それでは、出立致します。書簡をお渡しし、援軍要請をして参りまする」

 邯鄲城の門前に原過・楚隆二名の声が響いた。革鎧をまとい、長剣を帯びた兵士らが操る戦車部隊が、主人らの乗車を今や遅しと待っていた。

 先日、首府の絳に赴いた趙無恤の晋公家への言上はうまくいき、趙氏と韓魏両氏による鄭攻めの援軍許可が下りたのだった。これで智氏も趙氏に得た領土を分割せざるを得なくなると言う策は成功に近づいた。

「斯様な時に夫差陛下が北上して下されば有り難いのだが、贅沢は言えんな。まずは近辺を少しずつ固める事じゃ……二人とも、よくお願い申して参れ。良いな」

無恤は、盟友の中で最も強い力を持つ呉王夫差の助力に期待していたが、呉は遠過ぎる上に楚と越に挟まれているため、援軍は期待出来なかった。

そこで、周囲の勢力である韓と魏の抱き込みを成功させる事に集中したのだった。遠交近攻は外交の基本だが、遠くの味方を頼れない以上は、近場にいる競争相手と手を結ぶのも政治であり軍事なのだ。

さて、韓と魏への援軍要請をするために高共が書き上げた親書も完成し、進物も整ったのを確かめた無恤は、楚隆と原過への訓示を与えて送り出した。

御曹司や同僚達の見送りを受けた原過と楚隆は、旅装束に身を固め、書簡と進物を詰めた箱を抱えると、数台の護衛馬車を仕立てて出発したのであった。

 

 趙氏に仕える歴戦の武人の家系で、幼少時から戦車の操縦が得意な楚隆は、自分は弓を腰に挟んで左側で隊伍を指揮し、戦車の後方には韓氏への進物が入った漆塗りの箱と、趙氏からの書簡を積み込んだ。

そして、右に護衛官として下級の武官一人を乗せて盾や武具を持たせ、中央は御者役の文官に操縦を任せて出発したのだった。

当時の戦車は中央に運転する者、右に干戈で白兵戦をする者、そして左方では指揮官が弓で援護するのが主流であったため、こうした方法が武人の間では普通であった。

一方の原過は神官なので左に乗っても弓は持たず、右には護衛の武官、やはり中央には御者を務める文官を乗せた。戦が専門外であるため、他の戦車隊に護衛されながら任地である魏氏の領地に向かった。

「楚隆殿、お互いに頑張りましょう。御家の栄えは我らの喜びでもあるのですから」

 原過が穏やかに微笑むと、楚隆も気を許した友の言葉に力強く応じた。

「ええ。兵法も御存じない田舎者やら、どこの馬の骨とも知れぬ前科者に負けるような事があってはなりませんからな。原過殿も、道中お気をつけて」

 代々戦車乗りの武官に格式高い神官と、共に高貴ではあるが差異のある家柄だ。それでも互いを認め合う原過の穏やかさと、楚隆の誠実さでなされる連携作戦は、二人で一つと言われていた。されども、その相互の信頼は無限大に大きな一つを産む力となっていたのであった。

気位の高さでも気の合う二人ではあったが、趙氏の栄光と繁栄こそ、己の幸福なりと心得ていた上での事であった。

彼らもまた、主家に忠誠を誓う名臣の姿なのである。趙氏の未来を賭けた鄭征伐の同盟を締結すべく原過は魏、楚隆は韓へと、乱世の風に逆らうかの如く馬車を進めたのであった。