やたろう文商会

山形住みます作家・やたろうの公式(?)ブログです。

春秋の牡丹2

 

前回の続き。張孟談と趙氏一門の出会いです。

 

二章 趙無恤

 

   1

 

 晋陽城。孟談の住んでいた集落から徒歩で一日ほどの距離にあるこの城は、石造りの城壁に囲まれて趙氏の新しい居城にふさわしい、威風凛々たる姿を呈していた。

前王朝・商の都であった朝歌(ちょうか)、周王朝の首都洛陽にはさすがに見劣りするが、首府の絳に比肩すると言う評判通りの大都市ではある。

 その晋陽の大路には市が並び立ち、徒歩で行く人だけではなく、貴族や行商人などの馬車或いは牛車が出す砂塵と人いきれでごった返していた。

 例の高共訪問から数ヶ月後の事。そんな喧騒な大通りから外れた市場の脇に、孟談の新居を兼ねた居酒屋は建設された。

官庁近辺の一等地とはいかずとも、市に来る人を相手に出来るので、かなり条件の良い所ではある。いきなりそんな土地を拝領した孟談は仰天したが、高共は平然としていた。

「張君、気にせず商売に励みたまえ。主の酒場は諸国からの人が集まる。その人からは何が得られるかは分かっておるはずじゃ」

 そう言って立ち去った高共の後姿が官庁の方に消えて行くのを見つつ、孟談は昔の事を思い出していた。

郷里にある両親の居酒屋でも、旅人が店に立ち寄って様々な世間話をしていったが、その中には近郷近在の事だけでなく洛陽や遠い呉越、北狄の情報も時たま得ることができた。

 

中には、豫譲が仕官した范・中行両氏の惨事もあった。范吉射と中行寅は、以前から不仲な趙一門がいる晋を襲っていた。

だが、芳しい戦果は得られないばかりか、趙に加担する魏と韓、そして智氏を率いる若き英才・智瑶(ちよう)に反撃されて命からがら逃げ去ったのであった。

ただ、戦死者の中に豫譲の名前がなかったのが勿怪の幸いだった。

豫譲とその父・豫太公の仕事仲間であった人々も店に来ては様々な情報を提供してくれたため、張家はいながらにして他国の情報を掴めたのであった。

「そうか、高共様が僕に町で働けと言ったのは、情報を集めやすいからか。確かに

戦が多いから、他国の情勢が知りたいんだろう。でも、庶人の身でお上の事なんか

分からないのにな……」

 呟きつつ、孟談は厨房に戻った。その机上には豫譲母子から教わった字を、たどたどしいながらも彼なりに記した書物があった。

それには、諸国からの客人から聞き出した地方ごとの様々な文化、殊に酒場で供するべき歌舞や料理の詳細が書かれていた。

そう、孟談はこの晋陽城に来た翌日からもてなしの研究をしていたのだ。

 

郊外の酒屋で供していた田舎料理は村の人々や、裕福でなかった豫家の口には合うだろうが、大都市晋陽や各地からのお客様の肥えた舌は満足すまい。

 都市生活においての自分は無知だ。だが、無知なりの地道な生き方だってあるのだ。そう考えた孟談は官庁の元料理人や、立ち寄る客に酒肴の製法を聞き、こつこつと学んだ。

 田舎居酒屋ではお決まりの粟濁酒に、干し肉や漬物の類を適当に並べればそれで事足りたが、都城となればそうはいかない。

各地から来る客人、特に官吏や商人には舌の肥えた人物も多く、そうした人々からの情報を得るからには相応のもてなしをせねばと孟談は考慮したのだ。

 そうした計画のもとで増えた菜(さい)単(たん)(メニュー)を揃え、各地から来る人々を待つ張孟談。居酒屋の主として彼が作り上げた店が趙の運命をも大いに変えて行くのだが、孟談は知る由も無かった。

 

「さあ、いらっしゃいませ。本日のお勧めは“楚(そ)国(こく)荘(そう)王(おう)膳(ぜん)”ですよ!」

 張孟談の声が大通りに響き渡った。晋陽の空はからりと晴れ渡り、市場へ行く人の足取りも軽い。賑わう事は確実で、売り声をあげる孟談の声は極めて明るい。

 彼の言う楚国荘王膳とは、大陸南部・楚国に割拠した英雄で、中原進出を目論んだ春秋五覇の一角・羋侶(びりょ)の逸話に因む、張家の看板料理である。

それは、“鳴かず飛ばず”と言う無頼漢としての逸話で知られた若き日の荘王が残

した逸話にまつわる料理であった。

 荘王は愛馬に贅沢な餌と住処を与えていたが、馬は太り過ぎが元で死んだ。王は

嘆き悲しむ余り、大夫の格式で愛馬を葬ろうと言う非常識な振る舞いに出た。そこ

に優(ゆう)孟(もう)と言う臣下が諌めた。

「葬儀をなさるならば、王侯貴族の格式で盛大に葬れば良いでしょう。さすれば、陛下が人間より獣を重んじると言う事が知れると言うものです」

その諫言を聞いた王は、まだ若かったが柔軟でもあったので過ちを悔いて対処を

問うた。すると優孟は、死んだ愛馬を肉にした上で生姜と香草を入れた鍋で煮込み、

米と共に食すべしと、見事な“葬儀”を執り行わせた。かくして、人間の腹に名馬

を葬ると言う忠臣の知恵で荘王の名誉も守られたのであった。

 

楚国荘王膳とは、そうした故事に因んだ料理だった。この事件をはじめ、様々な経験を積んだ荘王は“鳴かず飛ばず”の状況を脱し、南方の覇者と相成ったのである。

 遠国の故事に因んだ縁起の良さ、そして気軽に肉料理が食べられるというので楚

国荘王膳は大人気となった。こうして孟談は自分なりの方法で順調に資金を稼ぎ、

諸国の情報を集めるのであった。

 

   2

 

ある夏の日、うだるような昼前の事だった。孟談が酒場の食事が悪くならないように涼しい所へ運び、客足が遠のいていることに溜息をついていると、表から声がした。

「御亭主は居られるか。ちと休ませて貰いたい」

孟談は酒壷を急いでおくと、慌てて店先に駆け付けた。表には小さな馬車が繋がれており、一人の男性が下車して店内に入って来た。

「お武家様、お疲れ様でございます。お食事に致しましょうか。それともお酒でしょうか?」

 田舎育ちの朴訥さは抜けないが、店の経営を通して孟談もひとかどの言葉づかいは身につけたようで、恭しく礼をしながら客を通した。

その客は狩猟の衣服をまとい、簡易な胸当てと鞆(とも)を装備し、背中に矢筒を背負った小柄な男性客であった。だが、小男と言えども浅黒く日焼けして引き締まった体と鋭い目つきは、まさに歴戦の武者と言う風格であった。

「そうじゃな。では濁酒を一本、所望致す。後は、肉とつまみになるものを少しばかり見繕うてくれぬか」

香りの良い茣蓙(ござ)に客人は腰を下ろした。この茣蓙は孟談の田舎から届けられるもので、十日に一度の割合で交換されていた。そのため、清潔で香りの良い店と言う評判を形作る一因でもあった。

 

程無くして孟談が塗り箸や銀の匙と共に、食卓に酒肴を並べる。雇っている歌い手と踊り子がたまたま店に居たので、舞台に立たせて演奏させた。すると客は口に運ぶ前に酒盃と肉が盛られた皿の匂いを嗅ぎ、

「酒は常山(じょうざん)の水で、使っている粟は衛(えい)国(こく)の産だな。肉料理の香草は朝歌のもの。なるほど、いずれも取り合わせの相性を良く見抜いておる」

何と、食べてもいないのに産地まで見抜いたのだ。その鋭敏さに孟談が呆気に取られていると、

「御亭主の後ろの壁を飾る盾は呉からの輸入品、舞台で演奏されているのは北方にある代国の民謡だと思う。如何かな、御亭主?」

 

驚いた事にこの客は、南の果ての呉から、異民族の跋扈する北国の代に至るまで何でも知っていた。これではまるで、自分の今まで調べた諸国の情報が筒抜けではないか。

「はい、然様(さよう)でございます。お、お武家様は何でもご存知なのでございますね」

孟談は汗を拭き拭き、微笑む客の前に座って何回も頭を下げた。そこに、聞き覚えのある声がかかって来た。

「知ってもいるはずじゃ。こちらのお方には、いつもお主が集めてくれる情報を拙者が逐一報告しておるからのう」

後ろを見ると、いつの間にか高共がいた。すると客が、

「おう、高じいか。そちが言うた通り、ここの店はなかなか良いぞ。料理と酒も美味いが、店の飾りも歌舞も乙なもの……何より諸国の知識が鈴生りだからな。これは見込めそうじゃ。」

家老の高共を“じい”と呼び、並外れた見識を持つ御仁などそうそういるはずがない。平伏した孟談はまさかと思い、自分がもてなした相手の顔を恐る恐る見上げると、客は委縮する孟談を手で制し、

「苦しゅうない。張孟談よ、楽にするがよい。私が趙の嫡男・無恤だ。高共の申す通り、そちは情報を集めるのに長けておるようだ」

鋭い視線は、拱手して平伏した孟談の上に注がれた。だがどこか人懐こさのある目ではあった。これこそが四卿の一角である名門・趙氏を率いる御曹司の器なのだろうか。

 

ただただ恐縮する孟談に無恤は笑いながら、

「汝、張孟談に申しつける。これからは趙の本拠地がある邯鄲城で文官として勤務せよ。そちも士の身分になったのだから、ますます励めよ!」

 孟談は己の耳を疑った。だが次の瞬間に、

「固くなりおって、耳も強張っておると見た。主は文官に登用じゃ。これは我が趙氏全体の話し合いで決まった事……受けぬとは言わさんぞ」

 微笑みつつ自分を見つめる無恤の一喝に孟談はひれ伏し、

「ははっ! 邯鄲城の文官職、謹んで拝命致します」

任命状の木簡を差し出された孟談は、感無量の思いで趙無恤の足もとに跪いて忠勤を誓ったのであった。

庶民に過ぎなかった孟談は、異例の大抜擢によって、一躍趙氏本拠地・邯鄲城の文官になったのだった。

時に紀元前四七六年。孟談が無恤と出会ったのは、まだ二〇代半ばの若さであった。

 

   3

 

 無恤の父・趙鞅が衛との戦いで手にして以来、趙の居城になっている邯鄲は晋陽の南にある。趙鞅が土地を手に入れて城郭を無恤が作り上げる、親子相伝で栄えている都市と言う点では晋陽と同じだった。

 晋陽の酒場で無恤と出会った孟談は、この城の文官として赴任することとなった。希望と不安が交々な気分で孟談は邯鄲に入城した。宮殿に到着した孟談を待ち受けていたのは、多くの趙氏家臣団であった。

 高共の隣には若い神官と武将がいた。神官は原過(げんか)、武将は楚(そ)隆(りゅう)と言って、軍事・祭祀に秀でた名家の出であるためか、庶民である孟談を珍しそうに見ていた。

「僕……いえ、私は先だって若殿様からの御引き立てを賜りました張孟談です。楚隆殿、原過殿、何卒よしなにお願い申し上げます」

 田舎育ちで朴訥な孟談の挨拶を聞いていた楚隆は、恐縮する彼の前に歩み寄って笑いかけた。

「まあ、そう固くならずに。色々と分からないことがあるのは当然至極。何せ、少

し前まで酒屋の主人だったのだから、無理はないでしょう」

 武門の若武者らしい誇り高さをもつ楚隆が笑うと、原過が微笑みつつ諌めた。神官と言うだけあって礼儀正しく温和だが、彼にもどこか驕りが見られた。

「ははは、楚隆殿もお手柔らかに。分らない事があれば我らにお聞き下されば良い

のです。田舎と城とでは、礼儀作法も全て異なると言う事だけでも心されよ」 

 

この両人は趙氏譜代の家臣一門の生まれで、若いながらも優秀な実績を残していた。言わば生まれながらに花も実もある貴公子で、孟談を相手に驕慢な態度を取るのは無理も無かった。

だが、貴族社会は古今東西を問わず得てして文尊武卑に成りがちで、祭祀や武芸・

兵法よりも事務処理能力を求めているのが常である。如何に当時が祭祀を重んじる

一方で武将が活躍した時代とは言え、文官が重きをなしたのは想像に難くない。

そんな貴族社会に、地方出身の孟談が文官の一員として来たのだ。対抗意識が芽生えないのがおかしいのであり、そうした感情がどこか見下したような口ぶりに出たのである。

 緊張する孟談と、どこか冷めた視線の二人に気付いたのか、高共が一人の男性に声をかけた。

「陽(よう)虎(こ)殿、張殿に仕事場を見せておやりなされ」

 それに応じるかのように、

「おおっ」

雷のような大声と共に、その男性が立ち上がった。彼は、華夏人のようだが殺気に満ちた、まるで虎のような威圧を与える人物である。

「儂は、陽虎と申しまする。元は魯国の者でござるが、趙大殿様にお仕えしており申す」

 

孟談は戦慄した。陽虎と言えば、魯国はおろか晋にまでその悪名を知られた奸雄である。

誰かに暗殺や報復を頼まれれば相手ばかりか、その仲間や親族までも捕らえる事は茶飯事で、放火や略奪に虐殺も平然と行う蛮勇の徒。それが、世間の人々が陽虎に抱く印象であった。

当時は孔丘と称していた孔子と外見が似ていたために、その一門が陽虎と間違われて攻撃された事件まで起きたほどだ。魯国で謀反した陽虎は兵を借りようと斉へ逃れたが、その時に逃がしてくれた知人を殺そうとしたと言う振る舞いは、晋では子供でも知っていることだった。

その暴悪な評判を聞き及んだ斉の指導者らに追われたために晋へと亡命し、趙鞅に拾われて仕官したのであった。そんな恐ろしい人物が上司になると言う事実に驚愕する孟談を宥めるかのように、高共が笑った。

「ははは。張君も驚いたであろうが、何の事はない。もはや彼も年じゃし、落ち着く場所を見出したのだから悪さはせぬよ」

 確かに、高共の配下なのだから危険はなかろう。淡々と語る彼の言葉で落ち着きを取り戻した孟談は、一息置いてから問うた。

 

「家宰様。質問があります」

「何かね?」

「私を情報収集のために御取り立て下さいました事、感謝に堪えません。ですが、何故文官にまで出世させて頂けるのでしょう? それを教えて下さいませ」

孟談が今まで持ってきた疑問を洗いざらいぶちまけると、高共は怒った様子もなく微笑み、

「よう聞いてくれた。今から拙者が陽虎殿と共に話そうとし

たのはその事じゃからの」

高共の言葉を聞いて得たりと頷いた陽虎は、城の奥まった所にある部屋に孟談を誘った。

そこには、晋陽や邯鄲、洛陽に朝歌と言った地名が書き込まれた絵図が壁にかかっていた。山や川、湖などの地形が書かれている所から見ても、これが地図と言う物なのだろう。

「張殿、これが我が晋国とその周辺を記した地図じゃ。北に代国、東には魯に斉、

南には楚と呉越、西には洛陽がある。何故こうした物が我らにとって必要なのか…

…お分かりか?」

「交易でしょうか?外交にも、戦にも使えそうでございますが」

孟談が戦、と呟いたのを高共と陽虎は見逃さなかった。

 

   4

 

 孟談の呟きを耳にした高共は陽虎と顔を見合わせ、

「おう、なかなかに察しの宜しい事だ。今、この晋だけではなく、この大陸全土では頻繁に紛争が絶えぬ。貴族だけでなく、農民や学者、商人も戦に影響を及ぼす世の中になりつつあるのだ……」

陽虎は穏やかながらも闘志に満ちた表情を浮かべた。高共が合鎚を打つように、

「故に、我が殿は身分や門閥を問わず意志のある者、一芸に長けた者をお召抱えになる。陽虎殿は武勇だけでなく、他国の情報にもお詳しいので高位を賜ったのじゃ。そう、お主もその一人なのだ。」

高共の話は続いた。従来、学問を究めるのは男性貴族だけと言うのが社会通念であり、それ以外の人が学問を修めれば分不相応だの、無礼だのと批判された。

だが、総力戦で戦わねばならない非常時に於いては、そのような贅沢など言ってはいられない。

誰しもが、何らかの学問や一芸を以て乱世に挑まねばならないこの時代、民間人でも良き人材は登用すべし。それこそが趙の方針であり、幸いにも豫太公一家から学問を授かり、商売をしていた張孟談に白羽の矢が立ったのだ。

 

「つまり、主は商売を通した情報収集を心得た、既成の貴族概念に縛られない人材。それを見た拙者は大殿・趙鞅様と、その御曹司たる無恤様に言上し、君を文官として採用したのじゃ」

家宰の説明を聞き終わった孟談は地図を掛けた作戦室の床に、深々と跪いた。    

「承知致しました。私に御声をお掛け下さったお殿様と御曹司並びに、家宰様の御恩にどれだけ報いられるかは分かりません。ですが、孟談めは愚鈍です……されども精一杯の御奉公を致します」

新入りの決意と覚悟を見た高・陽の両名は兵士を呼びつけると命じた。

「良くぞ申した。丁度、主の同志が帰還したようだ。これ、新稚(しんち)狗(く)をこれに!」

「はっ。新稚狗親分、高家宰がお呼びですよ!」

 

棒の先に突起状の穂先を付けた武具――戈(か)を手にした兵士が声をかけたのは家臣達が集まる広間ではなく、宮殿の外に広がる牧場に向かってである。

間もなく、一人の武将らしき者が、一同がいる作戦室の前にやって来た。馬に跨って牧場からやって来たのは、身の丈が八尺(周代の一尺は二四センチなので、二メートル近い)の大男だ。大柄だがどこか幼く、孟談より少し年下に見えた。

肌は色白だが無精鬚の生えた顔と肩幅の広さは、もはや人と言うよりは二足歩行する白い虎か羆(ひぐま)のような風体であった。

隻眼と無数の傷を有する顔は若々しさと同時に、野性的な苛烈さに満ちた顔でもあった。

「おお、新稚狗。この御方が、今日から加わった張孟談殿だ」

 座席から立った高共が孟談を二人に紹介し、陽虎が二人の役職を説明する。

「新稚狗殿は騎兵隊を請け負っています。貴殿とは作戦立案の方面で共闘することになりまする」

陽虎の解説が終わると孟談は新稚狗に礼をし、

「お初にお目にかかります。不慣れ故にお手を煩わせるかも知れませんが、宜しくお願い申し上げます」

 

その言葉を遮るかのように、呵々大笑(かかたいしょう)する新稚狗が名乗って来た。

「ああ。若さんと高の旦那に見出されたってえ人があんたかい? 噂はもち、良い噂で聞いてやしたぜ。酒屋の親父なのにキレ者だし、面(おも)白(しれ)ぇ奴だってこともな。まあ、お固い事は抜きにして頼みまさあね」

その傍若無人と言えるが親しみやすい雰囲気に、孟談もつられて笑った。この憎めない荒くれ者とは初対面ではあったが、どこか懐かしい気がしたのだ。

「こちらこそ、宜しくお頼み申します。あなたを見ていると、どこか昔に出会ったような気が致しますからね」

 孟談は、人懐こい新稚狗にお愛想を言ったつもりであった。だが、

「それもそのはずさ。俺様はその昔、晋陽の郊外であんたに会ったんですぜ。覚えておいでじゃねえとは、ちと悲しいですなあ」

 新稚狗の不敵な笑みに孟談は戸惑った。

「晋陽で……と言いますと、郊外の村でしょうか?」

「そうでさあ。俺はあの時、北狄の野営地から引っ立てられて来た捕虜のガキよ。あんたの酒屋の前も通った時の思い出は、この片目に焼き付いてるのさ」

「酒屋の前と言うと……おお、あの時の大きな少年があなたでしたか。どうしてお城に仕官など?」

そう、彼は豫太公が戦死した北狄撃退の戦いで連行されて来た、あの隻眼の少年捕虜だったのだ。

 

   5

 

新稚狗は当初、牧童用の奴隷として遇されていたが、自由を求めて脱走した。そして、馬に乗って暴れる盗賊と化していたのだった。孟談は、自分よりも年下の風変わりな大男が送って来た数奇な生き様に驚愕を隠しきれなかった。相手の驚くのが面白いらしく、元奴隷の巨漢・新稚狗のお喋りは続いた。

彼は脱走後、単なる盗人ではなく華夏北狄を問わず弱者に奪った金品を与える義賊になった。趙氏でも手を焼く悪徳商人や不良役人が新稚狗軍団の獲物なので、彼らの悪事に泣いていた庶民の人気も高かった。

その数ヶ月後、義賊の隠れ家に踏み込んで来たのが、領内での盗賊征伐をしていた趙無恤だった。

亡兄伯魯や他の兄弟の追随を許さぬ武勇と知略を持つ御曹司の用兵と武芸に、力押しのみが取り柄である賊軍の粗末な砦は十重二十重に包囲された。新稚狗が得意とする騎馬戦術も包囲網で封じられてしまい、兵糧攻めにされたのだった。

 

追い詰められた新稚狗は降伏条件として、保護していた孤老や孤児、病人など弱者を助けて欲しいと訴えて降伏した。だが、新稚狗はその侠気と勇気を惜しんだ無恤によって罪を許され、助命されることになった。

その際、持ち前の武勇を活かして仕えよと無恤に諭され、趙氏を守る騎兵の長として採用された上に、保護していた弱者や子分を養うための牧場をも賜ったのであった。

 

「俺様は、若さんの広い心に惚れちまったのよ。単にお情けだけじゃなく、俺の器を認めて下さった。仕えねえわけにゃいかないからな」

仕官後、北国生まれの遊牧民で乗馬に秀でた新稚狗は戦車隊主流であった他国には無い、高速で移動可能な騎兵隊を統率する将校としての指揮権を与えられていたのだ。

「しかしまあ、あんたと同僚になれるなんて奇遇だよなあ。若さんは人を偏った目で見ねえし、ここにいれば飯にも家にも困らねえ。趙氏が俺様と合わなくなっちまったらぁ、とっととおさらばしちまうがな!」

 新稚狗がいた北狄の諸部族は対価の契約を旨としており、上に立つ者がその資格を失えば、背こうとも捨て去ろうとも咎めを受けない。暗君や悪政を行う指導者は、部下に容赦なく斬り捨てられる非情な世界だった。

しかし、逆に言えば主君が自分の働きを評価する限り、部下は初志貫徹して従うべきであり、それすら守れない者は人間失格と言うのが草原の民の掟なのだ。こうした割り切った考えこそ、人情ないし主従の絆で繋がる華夏とは違う北狄の風習だった。

だが、孟談はそんな新稚狗に冷淡さを不思議と感じなかった。むしろ、現実味を帯びないと生きていけない風土の草原らしい、爽やかな気風を感じたのだった。

 

 孟談が新稚狗の長話を聞いていると、どこからか待ちきれないように子供の声がした。

「なあ、新稚狗よう。おらにも話ぃさせろやい」

 だが、部屋にいるのは自分と新稚狗、陽虎、高共と兵士だけで、子供などいない。一体、どこにいるのだろうか。

「おう、天狙(てんそ)もいたかい。張の旦那、こいつの自己紹介も聞いておやんなさい」

新稚狗が返事をすると、年の頃は一〇歳くらいの小さな子供が梁の上から勢い良く飛び降りてきた。日焼けして色黒な肌だが、健康美にあふれた肢体をしている少女だ。樹皮を編んで作った貫頭衣を着た姿は、山猿そのものである。孟談の顔を見てニコニコしていた。

 北国育ちの色白な顔で暴れ馬を駆る巨漢の相棒とは対照的に、日焼けして小柄ながらも健やかな雰囲気に満ちた天狙は、ぴょこんとお辞儀をした。

「おらは天狙。生まれは越(えつ)だ。殿さんに貰われてきて、高共じいのとこに厄介になっとる。役職は斥候をしとるよ」

  南国の越から、はるばる北方の晋に天狙が来た経緯は、やはり戦だった。

 

呉越同舟(ごえつどうしゅう)、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の故事で知られるように南方の呉越は対立を繰り返しており、呉王夫差(ふさ)と越王句践(こうせん)の争いは有名である。

 晋、特に趙氏は老練な呉の国王・夫差とすこぶる仲が良く、紀元前四八二年以降、夫差からは晋への贈り物として、越から来た南方蛮族の捕虜が毎年のように献じられていた。

そして、その異民族奴隷は呉からの謝礼として趙にも送られていたのだ。斯様に

幼い女の子が越から晋にやって来たのは艱難辛苦の連続だっただろう。しかし彼女

の顔に陰りは無く、信じられない言葉がその口から飛び出した。

「こったら楽しい所があったとは思いもよらなかっただ。おらは、晋の奴隷にされて良かったとも考えてるべ」

 その言葉を聞いた孟談は我が耳を疑った。華夏では、父祖伝来の地を離れて強制移住させられるのでさえ、断腸の思いとされている。

 そうした保守的な精神を常識として来た孟談をよそに、この幼い女奴隷・天狙は身ぶり手ぶりで自らの来歴を語り始めた。その可愛らしい様子に、兵達もやって来て笑顔で聞き入っていた。

 いつの世でも人気者の周囲には黒山の人だかりが群がるものだが、それは古代中国でも変わらなかった。その有様は、今でも人気の作家や芸能人の周りに人だかりを作る愛好者さながらの熱気であった。

 

   6

 

 高共と陽虎、新稚狗、そして多くの兵士と言う応援団を前にして、天狙は来歴を語り始めた。彼女は越が支配する南国の奥地に住む狩猟民族に生まれ、素朴な暮らしを送っていたのだったが、越の首都である会稽(かいけい)では部族の暮らしを揺るがす一大事が起こっていた。

それは、句践が夫差に降伏して朝貢を強要され、雌伏の時期を過ごしていた時に

起きた問題だった。 句践は、同じ越人の兵や民の力を温存して捲土重来すべく、

荒れた国内の治安を向上させ、かつ朝貢品の補給を兼ねて異民族征伐を開始した。

彼ら蛮族は、山岳地帯に住むことで鍛えた体力を誇り、堅牢な集落を持っているため、納税を拒むばかりか民衆を襲う山賊になる可能性があった。ひどい時には呉や

楚と内通さえするので、奴隷化して夫差に与えれば厄介払いも出来て一石二鳥にな

ると考えた、句践決死の策略であった。

 現代人の視点からすれば、非情で人道に反するようにも見えるが、当時は野蛮で

未開な民族への見解は、どこの国家でも同じであった。それに、自国民を優先するのが為政者の義務であれば、句践も苦渋の決断をしたのである。

  

 天狙は越の内乱で親を亡くし、部族の仲間に養われていたのだが、この戦いで彼らと共に捕まり、句践軍に護送されて夫差に献上された。

越人も勇猛だったが、それに輪をかけて勇敢かつ身体能力に秀でていた南蛮部族の召使いや奴隷兵を多く手にした夫差は喜び、親交がある晋公家に彼らを送り込む事で“お裾分け”をしたのだった。

 晋公は配下の中で最高齢である趙鞅を優先して奴隷を選ばせた時、天狙に白羽の矢が立った。こうして、彼女は趙氏に仕える事になったのであった。

「天狙殿は越の方なのに呉に移られ、次は晋に来られて、さぞかしお大変だったで

しょう」

 孟談は恐る恐る聞いた。蛮族とは言え、強制移住を何度と経験した女の子に何と尋ねれば良いのか、分からなかったからだ。

「そげに大変でも無かったべ。働きながら色んな国を見て回って、面白おかしく旅

をしてるようなもんだで、飽きた事はねえ」

 底抜けに明るい彼女の笑顔は、新稚狗の時とはまた違った意味で孟談を驚かせた。

天狙は幼い時分に句践軍の捕虜になり、次は夫差の呉に強制移住させられ、今度は晋公家から趙氏に下げ渡されると言う生き方を送って来たにも関わらず、それを辛いと感じていないのだ。

 

「だって、面白ぇもんは面白ぇんだから仕方ねえ。こう言う事が一番楽しいだ」

 次の瞬間、天狙は飛び跳ねると孟談の頭上をとんぼ返りで通り過ぎた。高共と陽虎、兵士らは苦笑いしているが新稚狗は大笑いし、

「旦那。無くなったもんがねえか、確かめて下さいまし」

新稚狗の言葉に応じて孟談が頭を撫でると、頭巾に付いていた飾り玉付きの紐が無い。新稚狗らの視線の先を見てみると、天狙が笑いながら紐状の物を弄り回している。それは、紛れも無く消え失せた頭巾の紐であった。

「何という早業だ。これがあなたの特技ならば、趙氏の斥候は間違いなく成功でしょうね」

頭巾に結ばれた紐が、細くて小さい事は言うまでも無い。それを瞬時にして抜き取り、奪い去った天狙の早業と身体能力の高さに、孟談はただ感嘆するばかりだった。天狙に限らず、南方の部族は山育ちで俊敏な者も多かったので、根気良く仕込めば見事な踊りを披露し、俊足の飛脚になれた。それを応用すれば、間諜や暗殺など戦争用にも使えるので、“裏世界”での需要も高かった。

「張さん。おらはこれから、あんたと一緒に作戦を立てていく事になると聞いて来たけれど、宜しく頼みますだ。盗みたい物とか、調べてえ事があればおらに言えよな。すぐに調達して来るべ」

 挨拶を終えた天狙は、明るく人懐こい笑みを浮かべて拱手した。彼女の周りに集まっていた兵士らも、惜しみなく拍手を送った。孟談も拱手して返礼し、

「皆様の御来歴を伺いますに、学問を少し齧った私などは足元にも及ばない者でございます。この孟談めを、宜しく御鞭撻下さいませ」

 こうして、張孟談は田舎の酒屋から都の酒場の主人、そして文官へと出世を遂げた。

そればかりか、魯の亡命者や南北から渡来した異民族の兵士達と言った風変わりな仲間達と出会い、趙氏の新しき居城・邯鄲での第一歩を踏み出したのであった。